YOSHIHISA NAKAMURA PHOTO-GALLERY & ARCHIVES

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「 中村さんは、土門 拳 の孫弟子 」

中村さんと、私は日本大学芸術学部写真学科の同級生です。
4年間、すべて同じクラス、ゼミを専攻しました。
特に入学直後より聴講生として参加していた、写真家の故、三木 淳先生のゼミで
三木先生はもとより、諸先輩方からも多くの影響を受けました。
三木先生の先生が土門 拳先生であったこともあり、
土門先生が亡くなられた時、中村さんと一緒に葬儀のお手伝いをさせていただきました。
その折、三木先生より「君たちは土門の孫弟子だ」とのありがたいお言葉をいただきました。
中村さんは、この言葉を肝に銘じ、作品作りに反映していたと思います。
私などが彼の作品を選んだり、編んだりすることは、はなはだおこがましくはありますが、
バトンタッチのときまで、しばしの代役を務めさせていただきたく思います。

by ザリガニ
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by robertpakya | 2012-03-31 13:16

「 歳をとると形見がふえてしまうな 」

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土門先生、三木先生…。歳をとると形見がふえてしまうな。
そして、中村さんまでいなくなってしまうとは思わなかった。
中村さんは、「〇〇の賞をいただきました。」とか「〇〇先生の弟子でした。」
とか、あまり口にしない人でした。そういうことには元来興味が無かったようにも思うし、
そのようなことに拠らなくてもしっかりと自分の道を歩ける人だったとも思います。

少し横道にそれますが、中村さんは、よく「ぱきゃ」という愛称を使いました。
これは写真家、ローバート・キャパをもじったものです。
(これには、面白いエピソードがありますがまた別の機会に譲りたいと思います)

みなさまご存知の報道写真家のロバート・キャパ。
1936年スペイン、コルドバ戦線で撮った「崩れ落ちる兵士」はあまりに有名です。
さらには1944年のノルマンディー上陸作戦のレポートなど、記憶に残る写真は枚挙にいとまありません。
中村さんが好きだった?かどうかは今となっては知りようもありませんが、
作品はもとより、その暖かで魅力的な人柄を、
実際に友人として親交のあった恩師、三木先生から聞かされて、より身近に感じていたことは確かでしょう。
中村さんが、日本写真作家協会に入会した折に、三木先生が推薦人になってくださり、
“本人との関係”を「友人」と記されたことは、乱暴な解釈ではありますが、
キャパのことも中村さんのことも同じように大切に思われていた証だと信じております。

中村さんが、しゃべらないので、その何倍もしゃべりたくなってしまうわけですが、
本人は嫌がっているかもしれません。しかしながら、
中村さんが写真家として、どんな環境で何を考え、どう撮り、どんな形で見せたかったか、
私も一人のファンとして興味があります。私の知るところをお話しして、
さらなる、私の知らない中村さんを教えていただければと思います。

by ザリガニ
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by robertpakya | 2012-03-27 14:17